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金縛りの体験

 今日6日は、台風18号が日本列島を直撃。たった今、浜松周辺に上陸したとのこと。これから関東地方にもやってくるようです。午前中は、一切外出をしないことに決めたため、時間ができました。そこで、「金縛り体験記」と題して、一文を認めることにしました。

私の 金縛り体験記

新婚当時は木造の4軒長屋

 あなたは、「金縛り」というものを体験したことがありますか。そうです、寝ている時に、見知らぬ人間が自分の上に跨り、覆いかぶさってくるように見下ろしてくる、あの体験です。私は、しばしば同じ経験をしているんです。
 その状況とは、こうです。昭和45年頃、私は広島市に住んでいました。もっと正確に言えば、「私たち夫婦は」です。当時、私は駆け出しの国家公務員でした。官舎が比治山という小高い山の裏手、段原地区というところにあったんです。山の裏手ですから、原爆の災禍を免れた土地柄です。それだけに古き良き時代の広島が、そのまま残されていたと言ってもよいでしょう。霞町宿舎と呼んでいました。刑務所のような高い塀で囲われていました。戦時中の兵器廠の跡地に建っていたんですね。怨念が詰まっていたかもしれませんね。

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 皆さんは、公務員は一等地に、安い家賃で、立派な宿舎に住んでいる、と思っている人も多いことでしょう。しかし、当時の官舎は、木造の古い4軒続きの長屋でした。勿論、便所も汲み取り式です。臭気抜きのための煙突が、カランカランと鳴る、貧乏臭い長屋です。近くに共同利用の井戸があったら、文字通り、江戸時代にタイムスリップし、いますぐ井戸端会議ができそうな雰囲気でした。
 1階は4畳半ひと間だけ、2階も6畳ひと間だけ。1階の4畳半の片隅に古いコンクリート製の流しがついていました。真ん中にコタツを置いたら、もういっぱいいっぱい。便利と言ったらこれほど便利なことはありません。座ったまま何でも手が届きますからね。
 隣の家とはベニヤ板1枚だけのしきりで、しかもトイレも階段も向かい合わせでした。トイレに入って、座っていると、隣の奥様が2階から勢いよく降りて来て、ガタン、ピシャンと戸を閉め、勢いよくオシッコをするんです。側面から見たら、多分、2m位の距離で向かい合っていたことになるでしょう。もしかしたら、息遣いさえ聞こえたかも知れません。気の小さい私は、身動きが取れなくなり、出るものも出さずに、奥様が出ていくまでひたすら息を殺して待つしかありませんでした。
 風呂も五右衛門風呂でした。薪は、年に一度まとめて購入し、軒下に積み上げていました。新婚当時の妻は、風呂の炊き方がよく分からず、苦労していました。火をつけても煙が逆流してくるので、家中煙だらけというのが日常茶飯事でした。私が2階にいると、煙が階段を伝って登ってくるので、本を読むこともできない有様でした。ある日、煙突掃除のオジサンが来て、清掃してもらったら、あら不思議。俄然燃えやすくなり、煙に悩まされることもなくなりました。こんな環境の頃に、しばしば金縛りの体験をしたのです。

金縛りとは

 金縛りの体験をした人は、結構多いのではないでしょうか。上に述べたように、寝ている最中に、見知らぬ男が自分に覆いかぶさり、上から見下ろす。寝ている自分は、恐怖心から必死になって体を動かそうとするが、どうもがいても体が動かない。

画像の説明

 私の場合、パターンが決まっていました。4軒長屋の状況は上に述べた通りですが、寝ている最中に、突然、階下から階段を勢いよく駆け昇ってくる足音が聞こえるんです。そして襖(ふすま)を思い切り開けるんです。文字通り思い切りです。「ピシャーン」と、音がするほどの勢いで開け放つんですね。開けるだけなら、もう少しそっと開けてもよさそうなものですが、いつも「思いっきり」なんです。
 そして、部屋に入ってきて、寝ている私に近づき跨ぐんです。そして、顔を覗き込むように、上から見下ろすんですね。こちらは恐ろしくて、身もだえし、必死で体を動かそうとするんですが、どうしても体が動かない。
 この時の人物は、恐ろしい顔というのは分かるんですが、男か女かの区別がつかない。雰囲気的には、絶対に男です。しかし、顔の輪郭は明確ではない。しばらくもがき苦しんでいるうちに目が覚め、冷や汗をかいている自分に気づく。このような恐怖体験は、広島にいる間に、何度も体験しました。

東京に転勤

 その後、私は東京に移動になりました。本省勤務になったんですね。官舎は、東京小平市の喜平町になりました。ここの官舎は、4階建てでしたが、エレベータなどはありませんでした。ここの2階が私たちの住まいでした。建設大学校の校庭が目の前に広がっていましたから、環境としては恵まれていたといってもよいでしょう。ここで2人の子供も生まれました。
 この小平には7年住みました。ところが、この小平に移ってからは金縛りという現象は、一度も起きてないんです。7年間に一度も、です。
 その後、私は、子供は庭のある環境で育てたいとの思いから、思い切って、家を新築しました。今住んでいる埼玉県幸手市です。
 どうしてこんなところに住むことになったのか、ということについては、少し事情があります。本当は、同じ埼玉県の蓮田市に住もうと思ったんです。大手の宅地開発業者が、大規模な宅地分譲をしていたからです。東北線沿線ですから、実家の那須にも帰郷しやすいというメリットもありました。
 ところが、土地を見に行ったら、殆んど売約済み。売れ残ったところは、それなりに「ワケあり」のところばかりでした。迷っていたところ、別の不動産屋が近づいてきて、「ネエネエお客さん、幸手というところに、いい土地がありますよ」なんて囁きかけるんです。折角土地を見に来たんだから、「それじゃ、ついでに見てみよう」ということになったんです。
 そこが今住んでいる幸手です。最初は、とんでもない田舎に来ちまったな~なんて思いましたが、こんな田舎でも「住めば都」の言葉通り、長年住んでいると、知り合いもでき、それなりに住みやすくなるものです。
 若いころはこの土地柄に不満もありました。吉幾三の電話もね~キャバレーもね~、みたいだなと思いましたが、良い点を数えれば結構あります。山も大きな川もありませんが、平坦で、自転車だけで市内全域を回れます。電動自転車が不要ということです。大きな川もありませんが、それだけ堤防決壊の心配もありません。徒歩圏内に飲み屋やカラオケ店が結構あり、後期高齢者で集まって飲むのに困りません。田舎ゆえ大型ショッピングセンターもあります。権現堂公園まで歩けば、四季折々の花も鑑賞できます。
 ここに住んで、既に44年(令和3年現在)の歳月が流れ、金婚式も済み、そろそろ冥土への土産話でも作っておかなければ、間に合わない歳になってきました。

金縛りは同一体験だった?

 あ、金縛りの話でしたね。この幸手に越してきたある日のことです。妻と2人でお酒を飲んでいる時です。私が、「広島にいる時、よく金縛りの夢を見たよ」なんて言ったんです。そしたら、妻が「私も広島でよく金縛りの夢を見たわよ」なんて言うんです。
 「え、どんな夢?」と聞くと、「知らない男の人が、階段を勢いよく上がってきて襖を思い切り開けるのよ。それから歩いて寝ている私に近づいて来るの。そして、蒲団を跨いで、上から覗き込むのよ」なんて言うんです。
 何と、その光景は、私の体験と全く同じではありませんか。同じ時期に、同じ場所で、同じ金縛りの体験をしていた。私は、こんな恐怖体験は、自分だけのことだと思い、これまで一切口にしたことがなかったんです。
 ところが、妻も全く同じ体験をしている。一体、こういう現象は、どのように説明すればいいのでしょうか。本当に不思議でなりません。広島を離れてからは、ただの一度も同じ体験をしていないんです。官舎に原爆で亡くなった方々の怨霊が残っていたんでしょうか。

浮遊体験と幽体離脱も

画像の説明

 私、恥ずかしいから人には言ってませんでしたが、実は、時々幽体離脱体験や、空を飛ぶ体験などもしたことがあるんです。
 寝ている自分が、自分の体から離れ、天井から自分を見下ろしているんです。多分、夢の世界でしょうが、自分を見下ろした後、「外出」までするんです。下界が広がり、自由にどこにでも行けるという感覚です。道路や川、山など風景が眼下に広がって見えるんです。あのような体験は、自分の願望に基づくものかもしれません。
 それから、これも夢の中のことなのかもしれませんが、地上から鳥のようにフワッと浮き上がり、下界を見下ろす、という体験も何度か経験しています。
 広い意味では、こういうのを心霊現象というのでしょうか。不思議な世界です。それにしても、40年以上も経ってから、2人とも全く同じ金縛り体験をしていたことが分かるなんて、本当に不思議でなりません。

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