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生まれ変われるなら

今一度生まれ変われるなら

 もし、あなたが生まれ変われるとしたなら、いつの時代に生まれ変わりたいですか。あるいは、これまでの人生の中で、いつの時代にさかのぼりたいと思いますか。
 このように聞かれた時、学生時代に戻りたい、恋愛をしていた青春時代に戻りたいとか、或いは、新婚時代に戻りたいとか、課長に昇進したあの時代に戻りたいとか、いろいろな思いがあるかもしれませんね。中には、奈良時代や平安時代に戻って世の中を見てみたい、なんていう人もいるかもしれません。

現役時代には戻りたくない

 自分の場合はどうだろう、と胸に手を当てて思い返してみます。私の場合は、どう考えても、現役時代に戻りたい、という気持ちにはなれません。なぜならば、「その時代に戻る」ということは、同じ人生を「もう一度なぞる」ということです。同じことを繰り返すなんて、新鮮味がまるでありません。

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 戻るということは、朝早く起きて、満員の通勤電車に乗り、朝から晩まで仕事をするということです。まとまった休みも、盆と正月、それにゴールデンウイークくらいしかとれません。また、その時期は、高速道路は渋滞、新幹線もホテルも満員。職場の付き合い酒や嫌々ながらの接待の席にも出なければなりません。接待の酒なんて、二度と飲みたくありません(接待される方ならいいですけどね(=^_^=) )。お中元、お歳暮の季節には、頭を悩ませ、毎年、年末ぎりぎりまで、儀礼的な年賀状も沢山書かなければなりません。給料もそれほど高くなく、いつもピーピー状態です。過去の時代に戻るということはそういうことの再現です。
 ですから、その時代に戻ることができる、ということは、面白くも何ともないんです。その時代に戻って、「そこから全く別の人生を歩む!」、というのでなければ意味がありません。
 では、その時代に戻ることができ、当時と同じ能力を持っていたとして、全く新たな人生が、素晴らしい人生になる確率はどれくらいあるのでしょうか。多分、同じレベルの平々凡々の能力である以上、似たような人生行路になるのではないでしょうか。或いは、もっと悲惨な人生になっているかもしれません。いずれにしろ、自分の頭脳程度、行動力なら、たいした人生になりそうにないことくらい、容易に想像ができます。

いっそ平安時代や江戸時代に戻ったら

 では、いっそのこと、奈良時代や平安時代、江戸時代に戻れるとしたらどうでしょう。平安貴族のイメージは、和歌を詠み、蹴鞠りなどして優雅に生活していたようなイメージがあります。

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 でも、現実の生活は、どうだったのでしょう。洗濯機も冷蔵庫もテレビも携帯電話も、文字通り何もない。「ないない時代」のことです。トイレも、家の中にはなかったはずです。庭や畑の中に素掘りで掘ったトイレに板囲いをしたレベルだったでしょう。板囲いさえなかったかもしれません。子供は、夜など怖くて一人では行けなかったことでしょう。飲み水だって、今のような綺麗な水ではなく、川の水を汲み置きして使っていたというレベルでしょう。ご飯を炊くのも容易ではなかったはずです。第一、マッチのような便利な点火道具はなかったはずです。
 家だって、庶民レベルでは、本当に粗末なあばら屋だったと思います。あちこちからすきま風が吹き込み、雨の時には屋根のあちこちから雨漏りがしたことでしょう。なぜなら、私自身が子供の頃、つまり昭和20年代でさえ、屋根は木の皮で葺くのが一般的でした。杉の皮を剥き、その皮を並べて屋根を葺く、これが昭和ふた桁の時代の現実でした。子供の頃の記憶ですが、大雨の時は、バケツや洗面器や、鍋、釜を総動員して雨漏りに対処した記憶があります。直に雨を受けると跳ねますから、雑巾などのクッションが必要です。その雑巾だって、そのまま敷いたら跳ねますから、ふんわりと跳ねないような細心の工夫が必要でした。技術的に遙かに劣る平安時代なんて、雨の時にはダダ漏れ状態だったかもしれません。全ての面で、今の感覚では信じがたい、不便な生活であったことは間違いありません。
 もちろん、食生活も貧しかったことでしょう。第一、主食である米だって今のような便利な精米機があるわけではありません。ムシロの上にコメを均し、棒などで叩き、更には石臼などで挽いていたのではないでしょうか。そんな生活ですから、野菜など副食だけが豊富だったとも思えません。夜寝るときだって、板の間にムシロを敷き、粗末なボロをまとって寝ていたのではないでしょうか。ふかふかの羽布団なんて、想像すらできなかったことでしょう。

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 要するに、生活の全てにわたって、不便と貧乏と栄養不足が蔓延し、日々の生活は「死なずにいかに生き延びるか」ということだけで、神経を擦り減らしていたのではないでしょうか。
 そのような生活だからこそ、当時の平均寿命は、僅かに33歳未満(!)です。乳幼児期には多くの命が失われたことでしょう。幸運に生き残ったとしても、赤痢やコレラや天然痘、さまざまな疫病で命を奪われた人も多かったはずです。その結果が33歳未満という年齢なのです。
 テレビドラマなどでよく見る光景に、織田信長の舞う幸若舞「敦盛」(あつもり)があります。「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」という、セリフは有名です。その信長の生きた戦国時代でも、平均寿命は45歳位とされています。
 もっとも、その時代でも男にとって羨ましい一面もあったようです。紫式部の「源氏物語」に出てくる光源氏は、若い女性の元に毎夜忍び込んでいた、なんて描写が出てきます。いわゆる夜這いですね。自由にどこの女性のもとに通ってもいいだなんて、男にとって、本当に涎が出てきそうな素晴らしい風習で、是非今の世にも残したいものです。でも、こういう風習も紫式部の属していた貴族の世界だけだったのかもしれません。
 我々下々の生活では、とても夜這いどころの優雅な生活ではなく、夜陰に乗じて通おうとしたら、肥溜めに足を突っ込み、這這の体で逃げ帰ってというのが現実なのかもしれません。

昭和・平成は夢のような時代

 このように日本人の歴史は、貧しさとの戦いだったのです。ですから、私は、いつの時代に戻りたいかと言われても、江戸期はおろか、明治、大正の時代にすら戻りたいとも思いません。昭和の時代も、昭和20年の敗戦に至るまでは、満州事変、日ロ戦争、太平洋戦争など、戦争の歴史でした。従って、そのような時代に戻りたいとも思いません。結局、戦争のない自分の生きた時代が一番良かった、ということになります。

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 では、自分の生きた時代で、何歳の頃が一番良かったかと問われれば、「小学校時代」と答えることになるでしょう。鼻水垂らし、野山を駆け回っていた私にとって、教室という場所での授業は新鮮でした。蛇の目傘が鴨居のようなところに設置されており、雨の時はそれをさして帰ることができました。真新しい蛇の目傘を開くとき、バリバリバリというあの音は、今も懐かしく思い出されます。
 小学校は男女共学で、先生もほとんどが優しい女性教師でした。クラスは一度もクラス替えがなく、6年間同じ仲間でした。先生がいろいろな本を、読み聞かせしてもくれました。その頃の読み聞かせの本から受けた印象描写が、今でも記憶に残っています。本は、想像力を涵養します。聞きながら、その情景を自分なりに想像します。頭の中に絵が出てくるんですね。
 給食は、アメリカからの支援による粉ミルクを溶いた脱脂粉乳だけでしたが、それですら新鮮でした。進駐軍であるアメリカ兵のジープが輝いて見え、ガソリンの匂いが芳しく、わざわざジープの後を走ってついて行ったものです。
 ですから、いつの時代に戻りたいかと問われれば、小学校時代と答えることになるのです。決して、奈良時代や平安時代、江戸時代ではありません。
 サラリーマンとして勤務した時代は、世の中が右肩上がりの時代でしたから、決して悪い時代ではありませんでした。でも、そこに戻りたいという気持ちもありません。今更、満員の通勤電車に乗って、朝から晩まで仕事をし、夜遅く帰るなんて生活は、真っ平御免です。
 強いて、言うならば、第一線を退いた65歳、つまり5年前くらいなら戻ってもいいという気持ちはあります。全日制のサラリーマンを退き、非常勤レベルでの務めですから気楽だったからです。

今が一番いい

 このように見てくると、いつの時代に戻りたいかという問いには、「過去になぞ戻りたくない。今が一番いい」と答えることになると思います。
 食べ物には不自由しない。着るものにも不自由しない。住むべき家もある。朝から晩まで働くことを求められるサラリーマンでもない。妻や子供、孫もいる。自由時間もかなりある。旅行に行こうと思えば、いつでも行ける。携帯電話もパソコンもある。日本発のカラオケもあり、銘酒はいくらでもある。

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 携帯電話一つとっても、こんな便利なものがこれほど普及している時代はありません。私の現役の頃、人との待ち合わせは大変不便でした。約束の場所に約束の時間に行かなければ、もう連絡の方法はありません。大事な女性との待ち合わせなど、30分も前に行って待っていたものです。約束の時間に彼女が来てくれず、未練がましくウジウジと30分以上待っていた、なんて経験も少なくありません。今だったらそんな時間の無駄使いはないはずです。
 電話機そのものが貴重な時代でした。学生時代、下宿のおばさんが電話を取り次いでくれました。でも、下宿の家族のいるところで話をしなければいけません。秘密も何もあったものではありません。まして愛を囁くなんてもってのほかです。
 私の学生時代、主食の米だって、自由に買うことはできませんでした。配給制の残滓を引きずっていたからです。米が自由に買え、100円玉1個で使える精米所が各所に林立している光景なんて、正に夢のようなすばらしい世界です。

甘えの国民

 今、私たちは、マスコミを通じて、さまざまな情報に触れることができます。その情報の多くはこういう論調です。
 少子高齢化が進行している。将来の年金が危ない。就職が大変で大学を卒業しても就職できず、20社、30社面接を受けたがどこにも合格しない。サラリーマンも、非正規雇用が多く、いつ首切りされるか分からない。原発問題はいつ終息するか分からない。がれきの処理も進まない。旧市街地はシャッター街に変貌し、街に活気がない。生活保護世帯ばかりが増えている。
 こういった負の側面ばかりが強調されることが多いように思います。しかし、70年以上生きてきた私に言わせれば、世の中全体が、すべからく「甘えの構造」になっているように思われて仕方がありません。文句を言っている今の社会は、私が生きてきた時代に比べてさえ、十分に豊かで住みよい国になっていると思うからです。

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 少子高齢化なんて、何十年も前から分かっていたことです。今更驚くことではありません。年金だって、世代間扶養の制度から自己積立制度に切り替えれば済む話です。自己積立制度ならば、国から「引かれる」という意識はなくなります。それどころか、「将来のため、もっと多く天引きして欲しい」と言うようになります。制度の転換により、今の高齢者は年金の大幅カットを余儀なくされますが、元々、今の高齢者は自分の積み立てた以上の年金をもらっているんです。大幅カットなんて本来は当然のことです。当たり前の姿に戻すだけのことなのです。自分が積み立てた以上のお金をもらおうという根性が、甘えそのものです。
 大学生の就職先がないと言いますが、探せばいくらでもあります。ないのは、「大学卒業に相応しいと考える職がない」だけです。今、すき家やワタミだの大手飲食店が従業員が集められず、閉店に追い込まれている店舗が続出しています。農業や林業、漁業、それに介護の分野は慢性的な人出不足です。要するに、きつい、危険、汚いの3K職場が敬遠されているということです。人手が足りないから、外国人労働者を入れようかと検討されているのは、皆さんご存じの通りです。就職先がなければ、3K職場が嫌だなんて贅沢を言わず、どんどん就職すれば仕事がない、なんてことはあり得ません。
 非正規雇用が多く、いつ首切りされるか分からない。雇用環境、賃金水準は、世界の労働者との相関で決まることです。従って、長期的に、雇用環境が厳しくなることは避けられません。労働市場は、賃金の安いところへ次々とシフトしていくからです。だからこそ、いざという時に備え、貯蓄に励んだり、お金にお金を稼がせる(運用)方法を考えたり、サイドビジネスに精を出すなどの工夫がもっともっと必要になるのです。
 原発問題、瓦礫処理が進まない、なんて問題も、日本人の甘えの構造が多分に影響しています。日本人同士、「絆」「絆」なんて言いながら、瓦礫は自分のところには持ってくるな、最終処分場なんてもってのほか、なんて余りにも身勝手です。葬式の時は世話になりたいが、自分の近くにだけは葬儀場を作ってくれるな、という身勝手さと同じです。そいう人達には「絆」なんていう言葉を、決して口にして欲しくありません。日本人全体が、余りにも自己中心主義、利己主義に陥っています。

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 街がシャッター街に変貌したというなら、自分達の問題ですから、その活用策を考えるのは自分自身の仕事です。自分で活用できないなら、活用したいという人にどんどん提供すべきです。使わないまま放置しておくことは、犯罪に近いとさえ思います。軒先に「ただで貸します。託児所でも、介護施設でも、居酒屋でもなんなりと自由にお使い下さい。その代わり、どんどん稼いでどんどん税金を払ってください。」という張り紙をしておけば、いくらでも借り手はいます。そうすれば世の中にお金がどんどん回ります。
 使ってもいないのに賃料を取ろうとするから、借地借家法なんて法律の出番になり、面倒になります。ただなら、基本的に借家法の適用はありません。自分が使いたくなったら、いつでも返してもらえます。不動産なんて、あの世までもっていけないんですから、使いたい人に自由に使わせてあげましょうよ。それでも心配だというなら、私共のようなNPO法人など、非営利団体を介在させて、無償で貸し借りするというのも一つの方法でしょう。

精神的な豊かさが求められる時代

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 日本がこれほど豊かであるにも関わらず、逆に、今ほど日本人の心が貧しい時代はないのかもしれません。何億ともいわれる資産を持ちながら、自殺に追い込まれた藤圭子さん。お金に不自由のないはずの飛鳥の覚醒剤事件など、心が病んでいる事件が多すぎるように思います。

 数年前、ブータンの国王夫妻が来日しました。その時に、国民の幸福度を示すGNH値が非常に高い、というので話題になりました。ブータンは、日本の九州ほどの狭い国土で、殆どがヒマラヤ山脈の急斜面にあります。日本人の目線から見れば、まだまだ貧しく、不便なことの多い国のはずです。それにも拘らず、国民の幸福度は日本よりはるかに高い。そこに、日本人が学ぶべきヒントが隠されているような気がします。
 つまり、人間の幸福感とは何か。これは難しい哲学問答です。トマス・モアの描いたユートピアも、「現実には決して存在しない理想的な社会」として描かれ、その意図は現実の社会と対峙させることによって、現実への批判をおこなうことであったとされています。
 「池上彰の教養のススメ」(日経BP社)という本の中で、池上彰氏と生物学者の本川達雄氏が次のような会話をしています。

本川  現代社会において「役に立つ」とは、より便利になる、だとか、よりうまいものが食べられる、とか、要するに即物的な答えをすぐに出せるかどうか、という意味に、今ではなっています。でも、ほんとうに大切なのは、「役に立つ」ではないですよね。「役に立つ」は手段にすぎないのですから。その先に人間が「幸せになる」かどうか、が目的のはずです。では、「幸せ」とは何でしょうか。
池上 「役に立つ」は手段にすぎない。目的は、人々が「幸せ」になることだ、と。で、いま、「幸せ」とはなにか、と問われると、けっこう返答に窮しますね。
本川 なぜならば、かつて「役に立つ」が「幸せ」をすぐにつれてきた時代があったからです。まさに私たちが成長した戦後の時代ですね。モノや食べ物が不足しているときには、モノをたくさん作ったり、食べ物をもたらしてくれたら、みんな幸せになります。でも、今の世の中はモノであふれています。食べ物もあふれている。もっといいモノをたくさんつくっても、モノは余っているからそれだけでは売れません。食べ物だって、みんなが気にしてるのは、グルメ情報以上にダイエット情報。文明そのものがメタボ状態になっている。そんな時代に、これまでの発想の延長線上にある「役に立つ」が、はたして人間に「幸せ」をもたらしてくれるのでしょうか。
 

含蓄の深いやり取りだと思いませんか。同時に、「幸せ」というものは、変転するものであり、ひとつところに留まっていない概念だということが理解できます。
 これは、詰まるところ、幸せの感情は、1人1人の心の中にある、ということになるのでしょう。そう、心のありよう、もちよう、なのだということではないでしょうか。少しくらいお金や食べ物がなくても、日々感謝の気持ちで満たされていれば、幸せです。
 そういう心の持ちようは、自分自身で身につけることができるように思います。私は、日々、「すべてのものに感謝する」という気持ちを持つようにしています。これだけでどれほど心豊かに暮らしていけるか、はかり知れないからです。
 朝起きて、トイレに行ったら、おしっこに感謝する。「ああ、今日も僕の腎臓君は元気で働いてくれているんだ。有難う。」と思う気持ち。これだけで、朝が楽しくなります。

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 朝ご飯を食べたら、「毎日こんなおいしいご飯が食べられて幸せだ。有難う」。孫に会ったら「こんなかわいい孫と会えて嬉しいな、楽しいな、有難う」。カラオケの店に行ったら、「いや~楽しい。みんなと歌えて最高だ。有難う」、という感じです。
 嬉しいな、楽しいな、有難う、という気持ちが溢れていれば、決して自殺しようなんて気持ちにはなりません。めったに病気にも罹りません。私は、この3年で風邪を一度ひいた位でしょうか。病気の気は、気持ちの気です。気持ちが弱くなれば病気の方から近寄ってきます。免疫力も落ちます。
 感謝に満ちた気持ちの有り様は、当然に周りにも伝播・伝染しますから、周りに人も寄ってきます。人が寄ってくれば益々楽しくなります。幸せの連鎖ですね。人間の幸せというのは、存外、こういう、至極単純なことなのではないでしょうか。
 結論として、私は、生まれ変わらなくて結構。今が一番楽しい、ということになります。寿命があと10年ないかもしれないよ、宣告されても、それでも一向に構いません。十分に人生を楽しみました。もう70年以上も生きてきたんですから。(H26・5・30 島田記)

 

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