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孫育て講座に行ってきました

孫育て講座に行ってきました

市の広報誌で「孫育て講座」なるものを見つけました。

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 講座の内容は、「孫との関わり、今どきパパママの現状は?」というものでした。本来ならこのような講座に関心は持ちません。だって、自分の孫を育てる位のことで、他人様からあれこれ意見など聞く必要がない、と思っているからです。孫との意思疎通は十分すぎるほどできています。
 先日も、小学2年の孫から電話があり、「極楽湯に連れて行って」と請われ、我々ジジババで相手をしてきたばかりです。勿論、親抜きです。2歳の孫娘も、大変よくなついてくれています。
 こんな状況ですから、孫育てに苦労するなどということはなく、孫に会えない、会わせてもらえない、という祖父母の悩みも別世界の話です。
 ならば、なぜこんな講座を聞きに行く気になったのか。それは私の主宰するNPO法人幸手げんき社の目的の一つに「子育てママさんの支援」という項目があるからです。
 実は、このような目的を掲げながら、今日現在、全く手つかずなんです。当然、内心、忸怩たる思いがあります。このようなモヤモヤした思いがあったので、このタイトルに飛びついたというわけです。

魅力溢れる棒田先生

 講師は、魅力あふれる棒田明子先生です。講師紹介欄には、『NPO法人孫育て・ニッポン理事長。NPO法人ファザーリング・ジャパン理事。「子育て」から「た育て」(多、他、楽)に変わるよう、子育て・孫育て、た育ての講演などを全国にて行う。NHK「ゆうどきネットワーク」、Eテレ「団塊スタイル」などに出演。著書に「祖父母に孫をあずける賢い100の方法」(岩崎書店)など。』とありました。
 全国区で活躍しているんですね。私など、このちっぽけな幸手ですら誰にも知られていないんですから、雲泥の差です。上の写真は、NPO法人孫育て・ニッポンのHPから勝手に拝借してきたものです。この写真の通り、本当に若くてお綺麗で、70過ぎの私など、砂被りで口をあんぐり、涎を垂らしながら拝見していました。
 この講座、全3回なんですが、初回は棒田先生の講演でした。先生の著書「祖父母に孫をあずける賢い100の方法」。きっと私の娘も、これを読んだんだと思います。いいようにこき使われていますからね。

有史以来、初めて女系が強くなった

 冒頭、棒田先生は、「有史以来、女系がこんなに強くなったことはありません」と仰いました。私も「そうだそうだ」と、深く共感することができました。もっとも魏志倭人伝に記述されている卑弥呼の時代から、本当は、女性の方が強かったのではないでしょうか。

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 そもそも強いか弱いかというのは、何をもって判断するのでしょう。筋力の強さという観点からは、男でしょう。確かに、マンモスやトラなどの猛獣が跋扈した時代なら、筋力は大事な自分や家族の防衛の手段であり、食糧獲得のための必須の手段でもあったことでしょう。筋力の強弱には、命そのものがかかっていたのです。
 でも、今の時代、筋力は殆んど必要ありません。強さ=他人を支配する力、と考えれば、むしろ「口の強さ」、口が達者な者の方が強いと言えるのではないでしょうか。女性は、なぜか生まれながらに口達者です。幼子を見ていれば、それは一目瞭然です。私など、生来、奥手で口下手、それに控えめと来ていますから、すぐに言い負かされてしまいます。そのため、これまでの70数年という短い人生で、何度悔し涙にくれたか分かりません。
 あ、そうそう、この話ではありません。棒田先生の話です。先生は、有史以来、初めて女系が強くなった。このため、孫に会えない祖父母たちが続出していると言うんです。祖父母に会わせるかどうかは、母親が決めるからです。一旦、嫁に嫌われたら、もう孫に会うことすらできない、というわけです。寂しい限りです。

トラブルは母と娘に一番多い

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 棒田先生は、家族関係で一番トラブルの多いのは、どことどこ(誰と誰)の関係でしょう、なんてことをお尋ねになりました。私は、瞬時に「嫁と姑」と思いました。ところが違うんですね。母親と娘の間なんだそうです。
 先生が仰るには、「母親と娘の間のトラブルが一番多い。しかし、傷は浅い。」と言うんです。喧嘩をしても比較的早く仲直りができるんだそうです。こんな時に夫やじじい、いや祖父は、決して口をはさんではいけないんだそうです。「帰り血」を浴びるからです。確かに、女同士の喧嘩の仲裁になんか入ったら、こちらが悪者にされかねない雰囲気ってありますよね。こういう時、男は静かにお茶を入れるとか、そっと買い物にでも出かけるのが一番賢い対処法なんだそうです。
 私も、本能的にそう思っているので、決して口は出しません。本当は私も、かなり賢いのかもしれません。

グサリとくる嫁と姑の言葉

 他方、嫁と姑の関係はというと、これは「表面的には」結構うまくいっているんだそうです。いや、正確に言うと、「うまくいっているように見える」んだそうです。嫁と姑は、本来、他人同士です。だから遠慮があるんですね。当然、日頃からそんなにぶつかることはない。しかし、少しずつ不満がたまっていたりすると、ある日突然爆発する、というわけです。

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 コップに少しずつ水がたまるように、日頃の「小さな一言」が積み重なり、ある日、これが一杯になり溢れる。その時にグサリとくる言葉になる、というんです。仇や女は恐ろしや~という訳です。

蝶々結びができない子供達

 先生はまた、こんなことも仰っていました。今の子供達は、「蝶々結び」ができないんだそうです。学校の運動会。私は、赤や白の帽子に、特段違和感をもっていませんでした。でも、あの帽子の由来。子供たちが蝶々結びができないからなんだそうです。蝶々結びをさせると、多くの子がすぐにほどけてしまう。その都度直してやると、それに時間をとられて運動会の練習すらできなくなってしまう。ええい面倒だ、帽子にしてしまえ、ということになったんだそうです。
 私などの世代には、全く想像もできない世界です。こんなに不器用になってしまったんでは、日本の誇るべき「匠の技」は、どうやって継承していけばよいのでしょうか。
 私は、純真な子供時代、常にポケットに小刀を入れ、持ち歩いていました。竹トンボや竹馬など、遊び道具を作るのはもちろんですが、ウサギや鶏を飼うための檻なども作りました。鉛筆なんて目をつぶっていても削れます。手先の器用さは、知らず知らずのうちに養われていたんですね。時々手を切ったりすることもありましたが、そのことによって、刃物の使い方を学びました。この器用さが高く評価されて、嫁に棚を作らされたり、庭の植木切りなど、上手にこきつかわれて、いや、上手に使い廻しされています。
 今は、危ない物、危険なところ、危ない人間、すべて危ないものを排除する社会になってしまいました。でも、こういう社会を作ったのも、我々世代の責任ということになるのでしょう。

弱い音が表現できなくなった

 棒田先生は、今の子供たちに欠けているものをいくつか例示されました。
 上の例のように、子供たちが不器用になったというばかりではありません。歩かなくなった、シトシトという雨音など弱い音を表す言葉が使えなくなった、我慢ができなくなった、電話の受け答えができなくなった等々、これまでは当たり前だったことを、多くの子ができなくなりつつあると言うのです。

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 確かに、高層のマンションに住んでいたり、防音効果の高い住宅に住んでいたりすれば、シトシトという雨音なんて聞こえる筈はないですよね。
 私の子供の頃の家は、雨漏りのするのは当たり前でした。家の中でポツンポツンと音がしたものです。弱い音にとても敏感でした。寝ていて雨粒が顔に当たったりするので、雨漏りの都度、洗面器やバケツなどを総動員して、部屋のあちこちに配置しました。洗面器やバケツは、水滴の跳ね返りがきつく、周辺を濡らしますから、跳ねないよう斜面に水滴が当たるように、雑巾などを上手に配置したものです。男子トイレに行くと、「一歩前へ!」なんて、張り紙を見かけますが、あれは、ちょっと意味が違います。跳ね返りによる被害よりも、直接、下にぽとぽとと滴が垂れる被害の方が大きいという意味なんですね。
 シトシト雨音、なんていう言葉で昔のことを思い出してしまいました。私もいろいろと苦労したんです。

苦労したことと言えば

 苦労したと言えば、私が子供の頃、一番苦労したのは、寝小便した事実を如何にして隠し通すか、ということでした。要するに、「しらを切る」ということです。高校を卒業するまで、私は那須に住んでいました。そうです。あの清らかな那須ですくすくといい子に育ったんです。
 那須は、群馬県と並び称されるほど、那須連峰おろしの風がきつい。そうです、空っ風です。雨漏りのするような家でしたから、隙間風もきついんです。
 朝起きたら、腰板の隙間から雪が幾筋も室内に差し込んでいたものです。居間は板の間です。冷たくて、裸足のままでは全面接地できません。接地面を最小にするため、足裏の外湾部だけで器用に立っていたものです。これは、がに股にならなければ取れない姿勢です。
 そんな寒い地方なのに、寝る時はせんべい敷き布団+せんべい掛け布団。もちろん、1枚ずつです。間にペラペラの毛布が1枚。これがすべてです。寝る時、蒲団が冷たくて、一気に潜りこむなんて、とてもできませんでした。先ず膝のあたりまで、足だけ突っ込んで徐々に温め、少しずつ布団の中に入っていくんです。イザリの行進みたいなもんですね。
 そんな冷たい布団ですから、しょっちゅう寝小便をしていました。私の記憶では、小学5年まで寝小便の癖は治りませんでした。夜、寝ていると夢を見ます。おしっこがしたくなり、道端の木の陰あたりでオシッコをします。あ~、いい気持ちや~、天国や~。

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 と、しばらくすると腰のあたりがジワ~ンと、何となく生温かくなってくる。ウ!?・・・これは・・・と思った時は、時すでに遅しです。もうすっかり、洪水状態です。天国が地獄に変わる瞬間です。でも、別の蒲団に替えられるんならそれでもいいんです。替えられないんです。それどころか、翌朝、父親に見つかろうものなら、「馬鹿野郎!」の罵声とゲンコツまで飛んできます。
 すぐさま飛び起き、オシッコで濡れた部分を持ち上げます。なぜならせんべい布団は、すぐに下に浸み通って畳に「痕跡」を残してしまうからです。怖い父親を騙すには、絶対に痕跡を残してはいけないんです。一度、痕跡を残したことに気づかず、「しらを切って」いたんですね。それなのに、いきなり父親に怒鳴られたんです。どうして分かったんだろうと、不思議に思っていたら、畳にしっかり痕跡が残っていたんですね。その後は、瞬時に対応するようになりましたから、叱られることはありませんでした。人間って、経験の積み重ねによって、少しずつ賢くなるものなんですね。
 こういう時は、瞬時に「患部」を持ち上げる必要があります。瞬時に、です。その後は、その患部を囲むように、エビのように丸くなって寝ていたものです。持ち上げた患部は、痕跡の原因になりますから、決して潰してはいけないんです。
 困ったのは、濡れたパンツです。夜中にパンツを履き替えることもできないし、だいいち、下着なんて、こまめに替えるなんて習慣はありませんでした。ですから、寝たままで乾かしました。最初は冷たいですが、不思議なもので、しばらくすると、気にならなくなります。そして、朝起きる頃にはすっかり乾いているんですね。
 そもそも、寝小便というのは、寒さと栄養不足の相互作用によって起きるものですから、子供ばかりを責められても困るんです。でも、当時も今も、私は従順で素直、しかも手をつけられないほどの勤勉ときてますから、親に口答えをするなんて夢想だにできませんでした。今でも、妻には決して口答えをしません。きっとその当時の癖が身についたんだと思います。

昔の子供の遊びを復活させよ

 棒田先生は、子供たちの「できない尽くし」を補うために、祖父母の世代で改善できることも多い、と仰っていました。あやとりや囲碁、将棋など、昔の子供の遊びを復活させる。死というものを直視させ、命はバトンされ、つないでいくものだということを教えるべきだとも言うんです。

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 確かに、あやとりなんて、本当に芸術だと思います。私は男だし、女の姉妹もいませんから、教室で見ていただけです。向き合った女の子同士から編み出されるさまざまな形状は、自然界が生み出す造形美にも似て、すばらしい変化を遂げます。それをいとも簡単に、作り出す女の子たち。本当に「これはかなわない」と、思ったものです。
 将棋や囲碁も、頭の柔軟性を養うには、格好の素材だと思います。最近はやりの「百ます計算」なんて、その変形ではないでしょうか。でも、百ます計算では、頭の柔軟性を養うことはできるでしょうが、大局観といったものを養うことはできないでしょう。囲碁は、頭脳の柔軟性に加えて、大局観というものを養うことができます。そうです、戦いは、局地戦で勝っても、大局で負けたら何にもならないんです。真珠湾攻撃で勝っても、敗戦になったのでは意味がないということです。人生には、大局を見て、勝てる戦いなのかどうか、そういう判断を迫られる場面が何度もある筈です。

歳をとることは楽しいことと教えよ

 また、棒田先生は、年寄りは、きもい、汚い、臭い存在ではない。年齢を重ね、老いるということがどれ程素晴らしいことか、ということを教えて欲しい、ということも仰っていました。
 確かにそうだと思います。今の時代、アンチエイジングとか言って、年齢に逆らって、若く見せようという風潮が蔓延しています。アンチエイジングの根底にあるのは、若い=きれい、すてき、すばらしいといったプラス要因があり、対極に、年寄り=きもい、汚い、臭いといったマイナス要因があるためでしょう。
 私も70歳を越しましたが、これまでの人生を振り返って、不思議なことに「今が一番楽しい」、と思えるんです。健康でいたいとは思いますが、アンチエイジングをしたいとは思いません。時々、顔のしわを伸ばしてみたり、鼻を引っ張ってみたりしますが、すぐ元に戻るのでもう止めました。髪の毛も染めたりはしません。自然に任せています。作家の五木寛之氏は、洗髪は年に4回、つまり春夏秋冬、1シーズンに1回しか洗わないそうです。アフリカの現地人が、シャンプーなどしなくても髪が黒々していることにヒントを得たんだそうです。
 高齢になって良いことは、出勤時間を気にしなくてよい、満員電車に乗らなくていい、仕事をしなくていい、上司の機嫌をとらなくていい、ブスな女の子に気を遣わなくていい、お中元お歳暮などの煩わしいことをしなくていい、子育てを気にしなくていい、ローン返済を気にしなくていいなど、数え上げたらきりがないほど、沢山あります。

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 これらはすべて、若い頃気にしてきたことばかりです。つまり、若い頃は精神的にも肉体的にも苦労が多いものですが、高齢になると、それらがすべて取り払われる、ということではないでしょうか。朝起きる時間を気にしなくていい。朝風呂に入ってもいい。仕事をしなくてもいい。昼からカラオケに行ってもいい。なんと素晴らしいことばかりなのでしょう。今は、こういう高齢者を対象に、昼からカラオケの店が堂々と店を開いています。私の家の近くには、おひとり様千円で歌い放題、なんて店があちこちにあります。
 まさに、年寄り万歳、ジジババ万歳、臭い、きもい大歓迎、という時代が来たのです。さあ、現役の皆さん、早く年寄りの世界にきませんか。本当に楽しいですよ。でも、ちょっとだけ、「蓄え」も持ってきた方が便利だと思います。

笑う門には福来る

 そしてもう一つ。棒田先生は、「笑う」ということが如何に大切なことなのか、これを教えるべきだとも仰っていました。確かに、笑いは人間にとって、極めて大切です。末期がん患者を対象にして、毎日30分程度、お笑いの番組を視聴させたところ、ガンが消失した実例もある、ということを船瀬俊介氏の著書で読んだことがあります。笑いは、生きる力に直結している、ということだと思います。
 私は本来、まじめで嘘がつけない、「しらを切る」なんてことができない堅物なので、笑うことが苦手です。でも、これから100歳まで、健康寿命を延ばすため、せいぜい残りの人生を「笑い」に捧げたいと思います。どうせ笑い飛ばせるほどに、ちっぽけな人生ですもんね。

朝日新聞に載っていました

 後日談ということになりますが、当日のことが、朝日新聞に掲載されていました。そういえば、この日、朝日新聞の女性記者が、取材に来ていました。

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